建築家と建てる家の人気の秘密とは!?
二一項目提案の内容も具体的で、単なる憶測記事とは思われない。
ニュースソースは「地位の高い通貨筋」となっているが、この種のスクープではぎりぎりの言及であろう。
この通貨筋はこの構想なら「イタリアが当初参加国から外された、とドイツが主張できる反面、イタリアは何とか第一陣に潜り込めたと気をよくすることができる」と語っている。
インタナショナル・へ一フルド・トリビューン艇も翌日これを追い掛ける形で事実上確認した。
「イタリアのEMU参加を遅らせる構想は何も新しいものではない。
H蔵相は一月、南欧諸国に対し、「一九九九年に間に合わせようと、突貫的な赤字減らしに走るよりも、二000年から二0O二年にかけての参加を目指し、長期にわたる移行を図ってはどうか、と提案している」という。
二00二年は、マーストリヒト条約で、EMU参加国の通貨が回収され、ユーロが域内唯一の法定通貨になると規定きれている年である。
P首相は八月一八日「我々は三・に%とか三・一%ではなく、きっちり三・O%を守る」と改めて当初参加への強い決意を表明し担。
にもかかわらず、欧州委員会もEU最大の経済大国ドイツの意向に沿った通貨統合計画を練っていたと見て間違いなきそうである。
ドイツは九八年秋の総選挙を控え、九七年七月現在で約四三五万四000人、労働人口の一一・四%にも上る失業率を抱えている。
財政赤字縮小を目指す税制改革案も議会で否決された。
この上、イタリアがEMUに当初参加し、ユーロがリラ並みの弱い通貨になることが確実視されれば、K首相の再選はおぼつかない。
それはEUにとっても、欧州統合支援の最大のスポンサーを失うことを意味し、堪え難い事態を招くことになるわけである。
イタリアを排除すれば、このところ為替相場や金利面で、マルクに収赦してきでいたリラに売り投機が浴びせられ、またもERMが大混乱に陥る可能性がある。
しかし最も重要なマルクの参加を確保するためにはやむを得ない犠牲だというわけであろう。
逆効果だった再建共産党の反乱しかしイタリアの当初参加を阻止しようとするこの構想は九七年の秋口までには消え去り、EMUは「地中海クラブ」諸国も含めた一一カ国で発足するとの見方が有力になってきた。
フランス政府が九七年に財政基準を達成することは不可能と告白し、ドイツも基準達成が微妙になっている以上、国を挙げてユーロを支持し、収数条件達成に死に物狂いの努力を続けるイタリアなどを排除することは政治的に困難になってきたものと思われる。
結果としてそうした見方を強める事態が一O月生じた。
イタリアの再建共産党(RC)が、ユーロへの当初参加を目指す九八年度の予算案に反対投票すると宣言、P首相を辞表提出に追い込んだのである。
オスカルル伊もEMU,当初参加の見通しイジ・スカルファロ大統領は辞表を「留保」、首相にRCとの交渉を命じたため、総辞職には至らなかったが、首相が「世界で最も愚かな政治危機と呼んだ九日から一四日までの一週間は、皮肉にもEU諸国にはEMU当初参加を目指すイタリアの真剣さを改めて印象づける効果を上げた。
P首相は九七年度の経済実績とともに、EMU当初参加の重要な参考資料となる九八年度予算案を、財政赤字をGDPC了七%に抑える緊縮型として議会に提出した。
歳出削減は二五兆リラ(約一兆七000万円)、GDPの一・二五%に上るがそのほぼ二0%を年金支出削減に求めた。
これがRCのF委員長を怒らせ、反対に回らせたのである(RCは「オリーブの木」連合と呼ばれる中道左派政権には参加していないが、下院に三五議席を有し、P内閣の死命を制する立場にあったのである)。
首相はたちまち窮地に立たされ、総辞職以外に道がなくなった。
予算案が否決されれば、EMU当初参加の道は絶たれる。
大統領命令を受けたRCとの交渉で、P首相はいくつかの譲歩を飲まされた。
その中には①週労働時間を四0時間から三五時間に削減、②年金改革の対象から現場労働者を除外、③イタリア・R民営化収入のうち三兆リラを南部での雇用創出機関に投入、④発電公社ENELの売却中止などが含まれていた。
産業界や支持者の眉をひそめさせたこの高価な譲歩により、P政権はよみがえることができた。
こうした動きは確かにドイツ人のいう「イタリア時限爆弾説」を裏付けるものである。
しかしRCが予算案拒否を撤回したのは、それがEMU不参加につながるとのRC支持層の懸念だったといわれており、結果としてイタリアの通貨統合に向けた真剣さを印象づける形となった。
ユーロは一一カ国で予定通り九九年一月に発行されるあとがき本書はここ数年来、EUが全力を注いできた通貨統合の動きを、極力具体的な動きに則しつつ総合し、厚い霧に包まれたその将来を可能な限り展望しようとしたものである。
経済通貨同盟(EMU)は一九九七年前半まで中止、または延期の可能性が強かったのに、秋口に入ると一気に「マ-ストリヒト条約の規定どおり実現」の線がほぼ確定してしまった。
EMUは、マーストリヒト条約の収数基準など、ルクセンブルクを除く全加盟国が逸脱しているのに、政治的に予定通りの発足が決断された、あるいはきれつつあるだけのことである。
一九九七年前半までに、ユーロ発行を確信していた人がいるとすれば、その人は余程眼光紙背に徹する超人だと思う。
一九七O年のP報告提出以降、中断と挫折、為替市場の大混乱とに悩まされ続けた通貨統合運動が、ここ数年目覚ましい進展を見せてきたことは確かである。
マ-ストリヒト基準達成に向けたEMU当初参加希望国、とりわけイタリア以下「地中海クラブ」の必死の努力はすさまじいの一語に尽きる。
左翼の強いフランスの市民も八0年代までは一三%にもなんなんとする失業率を甘受する国民ではなかった。
ユーロはそこまで市民に受け入れられてきたのである。
ドイツ市民も依然六割以上がマルク放棄に反対しているが、ユーロはいずれ生まれてしまうと諦めの心境になっているという。
そうした心理を反映し、マーストリヒト基準への収数は急速に進んでいた。
B政府による「金クーデター」(S誌)が有力な根拠である。
B保有の金準備を時価に評価替えすることによって、濡れ手に粟の評価益を挙げ、財政、債務基準を達成しようとしたW蔵相の試みは、収数条件の判定基準となる九七年の歳入に組み込まないBとの合意で烏有に帰したが、これはドイツきえ、収数基準達成が微妙であることを如実に示した動きだった。
W蔵相はしかも「三・O%は三・O%」と繰り返し言明していたから、少なくともドイツは基準の解釈緩和などはせず、GDP比の財政赤字が三%を上回るようならば、EMU発足を延期すると考えるのは当然であった。
S誌を信じるならば、BのT総裁も「金クーデター-をきっかけに「ユ-ロを捨て、マルクを守る」決意を固めたのである。
バイエルン州のS首相はそれを受け「EMU延期を」とK首相に進言している。
もう一つの中核国、フランスにも似た事情があった。
S大統領が判断を誤った総選挙の早期実施は、フランスも財政基準を達成できないとの政府予算局の秘密報告に触発されたものだった。
ともかくフランスも「三%」基準達成が怪しくなり、実際七月には会計検査院が基準達成不可能を認めている。
ちなみにこの秘密報告をすっぱ抜いたのはルモンド紙の若い記者である(アングロサクソン系紙は転電もしなかった)。
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